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2007年10月01日

概要

スポニチで親しまれている、スポーツニッポン新聞社とはどんな会社でしょうか。

スポーツニッポン(スポニチ)は、株式会社スポーツニッポン新聞社の発行するスポーツ新聞です。同社は株式会社毎日新聞社の子会社。

創刊当初は「スポーツ紙唯一の全国紙」をスローガンにしてスポーツ、芸能情報を積極的に提供してきた

。現在では定番となった1面記事見出しのカラー化(赤見出し)や、即売版(駅売店など)の専用紙面である風俗記事の連載、最終面をニュース記事のページにする「ダブル1面」を初めて採用した。80年代の終わりから総合大衆紙を標榜し社会事件や政治報道などにも力を入れた。1995年にはオウム真理教による一連の事件報道などです。東京本社管内でスポーツ紙としては初めて実売100万部超を達成。

95年4月から3カ月間、これを維持した。

2004年には東京本社、大阪本社及び西部本社が合併し、全国を1社でカバーする単一法人となりました。東京を存続会社とし、07年4月から人事・賃金など諸制度を統一すべく労使間交渉が続けられています。また、合併を機にスケールメリットを追求しすべての取引制度を見直した結果、05年度決算は減収ながらも史上最高益を記録した。なお、総売上げにおける3本社の比率は東京6、大阪3、西部1の割合となっています。

またこれに併せて、題字ロゴを全国で統一した。(会社が統合される前にも旧題字を全国統一で使用していたのですが、2002年ごろから大阪・名古屋以外は現在使用している新題字、大阪・名古屋は旧題字をそのまま使用していた)。

発行所は札幌、東京、名古屋(総局)、大阪及び北九州。沖縄では、株式会社琉球新報社が「新報スポニチ」を発行しています。
【スポーツ ニッポン 新聞社の最新記事】
posted by スポーツ ニッポン 新聞社 at 16:18| Comment(13) | TrackBack(0) | スポーツ ニッポン 新聞社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

スポーツニッポン新聞社の歴史

1949年(昭和24)2月1日 - 大阪に於いて創刊。
1950年(昭和25)3月6日 - 東京支社を設置し、東京に於いて発刊。
1955年(昭和30)5月1日 - 西部支社を設置し、九州に於いて発刊。
1960年(昭和35)8月10日 - 東京支社が分社し、株式会社スポーツニッポン新聞東京本社設立。
1961年(昭和36)8月29日 - 西部支社が分社し、株式会社スポーツニッポン新聞西部本社設立。
1988年(昭和63)8月 - 東京本社の機能を江東区越中島の新社屋に移転。それまでは本社機能が千代田区一ツ橋の毎日新聞東京本社(パレスサイドビル内)、編集部門は港区芝にあったのですが、全機能を新社屋に集約した。
1990年(平成2)7月1日 - 株式会社琉球新報社が新報スポニチを発刊。
1993年(平成5)2月 - 大阪本社が北区西梅田(大阪駅前)の毎日新聞大阪本社に移転。それまでの北区(旧・大淀区)の旧社屋についてはその後スポニチとの等価交換によりマンションとして再整備されました。
2004年(平成16)10月1日 - 株式会社スポーツニッポン新聞東京本社を存続会社として株式会社スポーツニッポン新聞大阪本社及び株式会社スポーツニッポン新聞西部本社を合併し、商号を株式会社スポーツニッポン新聞社に変更。

posted by スポーツ ニッポン 新聞社 at 16:17| Comment(0) | TrackBack(2) | スポーツ ニッポン 新聞社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

毎日新聞社との関係について

スポーツニッポンは毎日新聞の僚紙的位置付けとして創刊しました。

戦後の混乱期、用紙難から当局は既存新聞社の増紙を認めない一方、新興新聞社には出来る限り用紙を割り当てる政策を採りました。

既存新聞社はこの政策を逆手に取り、ダミー子会社を設立して新興紙を多く創刊した。毎日新聞系としては「東京日日新聞」(東京)「東海毎日新聞」(名古屋)「新大阪」「新関西」(大阪)「新九州」(門司)といった新聞がありましたが一方で毎日新聞大阪本社の有志がこの動きとは別にスポーツ振興を旗印としてスポーツ新聞の創刊を企画した。これがスポニチです。スポニチは毎日新聞社の後援はあったものの、上記毎日新聞のダミー子会社ではなく、比較的独自の発展を遂げた。

一方、ダミー子会社の発行する新聞は用紙規制緩和に伴う毎日本紙の増紙と夕刊発行復活で存在意義がなくなり、「東海毎日新聞」は廃刊(毎日の名古屋再進出に伴う事実上の本紙吸収)。「新大阪」は毎日から独立し、残る三紙は結局スポニチと合同する道を選んです。

「東京日日新聞」は戦前存在した同名紙の復活といった触れ込みだったのですが、殆ど娯楽本位の内容となっていただけにスポニチの東京進出と入れ替わるように休刊。社屋はスポニチ東京本社になりました。また、「新九州」もスポニチ西部本社の発足と入れ替わるように休刊した。

「新関西」はスポニチ大阪本社と経営統合を行い、「スポニチ夕刊・新関西」と改題。1970年代後半まで存続したのですが、経営難から休刊。スポニチ大阪本社の発行するスポニチ本紙の夕刊に切り替わった。
wikipediaから抜粋
posted by スポーツ ニッポン 新聞社 at 16:16| Comment(0) | TrackBack(0) | スポーツ ニッポン 新聞社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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